ザ・対談

街の活性化に頑張っている方々と 永井まさととの対談を連載でご紹介する「ザ・対談」です。 様々なジャンルをインタビューしますのでお楽しみに。

第9回
talk with...

写真家

ストラーン久美子

 東京生まれで、若き日々をアメリカで過ごしたストラーン久美子さん。カメラを手にしたのは実は60歳近くなってからといいます。観音崎の海浜地を撮ったのが最初というストラーンさんは横須賀の風景を題材に撮影を続け、昨年プロ写真家への登竜門といわれる写真コンテスト「土門拳文化賞」に選ばれました。先月横須賀の汐入にある市民活動サポートセンターに展示された三浦半島に残る明治の戦争遺構の写真展に行き、お話を伺いました。  ストラーンさんがカメラを手にしたきっかけとは?そして東京生まれでアメリカ育ちの彼女が横須賀を深く愛する理由とは?そして彼女が参画する「平和の語り部プロジェクト」とは?ぜひお読みください。

カメラを手にしたきっかけ

汐入市民活動サポートセンターで開催の写真展

永井 本日はよろしくお願いします。まず、ストラーンさんのバックグラウンドをお伺いしたいと思います。

ストラーン よろしくお願いします。私は東京出身なんですが、高校を出てから20年ほどアメリカにいました。その後日本に戻ってきて、それから米軍基地で働いています。基地の文化というのは普通のアメリカとも言えず、日本とも言えず、基地独特のカルチャーがあると思っていて、この3つのカルチャーのバックグラウンドを持っていると言えると思います。

永井 日本ではずっと基地勤務をしているわけですね。

ストラーン はい、最初は座間でしたが、その後転勤で横須賀に来たんです。

永井 写真を始めたのは、どういうきっかけだったんでしょう?

ストラーン 写真を始めたのはつい最近です。60歳近くなると皆さんこれから何しようかな、という時期だと思いますが、そんな時にある写真を見たんです。普段は買わないんですが、月の写真の特集が出ている本があったんです。その中で、一枚、ものすごく私に語りかけて来る写真があったんです。テーマは月なんですが、月が写っていない写真でした。その写真は私の中で「不安」とか「恐れ」といった文字を思い起こさせたんです。ああ、写真ってこういうことができるんだと強く思って、すぐにその写真家のところに行って、教えてください、と。

永井 すごい行動力ですね。

ストラーン 写真を撮ったことがなかったので、カメラを買うところからでした。お金もなかったし、どうしようと思いましたが、何でもいいよと言ってくれて助かりました。コンテストに出そうとか、入賞しようといった目的ではなかったので。

永井 写真が人に語りかける力というものを感じて、自分でそういったものを撮りたいというのが原動力だったわけですね。

ストラーン 写真に写っているものそのものというより、その人が言いたいこと、伝えたいことがそこにある、そんな写真を撮りたい、自分にも撮れるんじゃないかと思ったんです。

永井 最初に撮ったのはどんな写真だったんでしょうか?

ストラーン 最初に撮ったのは、観音崎の海の突起物でした。なんだろうこれは?という興味とともに撮ったのが最初でした。

永井 観音崎から始めたわけですね。

ストラーン はい、身近な建物、身近な風景、身近な人物を撮り始めました。そうした写真の中から、自分が言いたいこと、伝えたいこと、つまりテーマを伝えられる写真を選んで、そこに言葉を添えて一つの作品に仕上げるという作り方を私はしています。

横須賀は日本の未来

ひっそりと手付かずに残されて来た明治の戦跡を示す

永井 観音崎で始めて、海外での展示会も経験されたわけですが、どういった経緯があったんでしょうか?

ストラーン 大阪で展示する機会があったんです。その時に、見に来た方のほとんどが横須賀を知らなかったんです。それで、まずは日本で横須賀の名前を広めようと考えました。「土門拳文化賞」を受賞したときに、そのタイトルに「横須賀ブルー」と横須賀の文字を入れました。写真をやっている人ならみんな見る賞なので、これで国内は一定の目的を達成したかなと(笑)。それから海外に横須賀を広めようということで海外に目が向きました。アテネの写真コンテストで入選した写真集はアテネの美術館に収められています。その次にオーストラリアの写真展に出展しました。海外の人は日本という名前は知っているけど、実は何も知らないんですね。日本に行きたいという人は大抵、京都などの有名なまちに行きたいという方が多いんですが、そういう時に横須賀にも来てくださいと言っていました。

永井 さすがですね。

ストラーン そこでハッとしたのは、横須賀「にも」来てくださいじゃなくて、横須賀「に」来てください、だなと。寺社仏閣が好きな人は京都に、観音崎のような海・山の自然や、明治の戦争遺構が見たい人は横須賀を目指してまっすぐに来てください、と言うようになりました。

永井 東京で生まれ育ち、海外で過ごしたストラーンさんが、ここまで横須賀を愛するようになったのは何故なんでしょう?

ストラーン 横須賀は言うまでもなく、海や緑が豊富なところですが、やはりマルチカルチャー、いわゆる多文化共生が存在している部分が他の違うところだと思います。そうしたこの街で写真を撮り始めて、土地の歴史なども紐解いてみると、横須賀という場所は幾度となく日本の歴史の舞台に出てくることがわかったんです。日本書紀には御浦(三浦)の地名が出て来ますし、鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝に与した三浦一族の本拠地であり、江戸時代には東京湾に出入りする全ての船の荷改めをする要所であり、開国のきっかけとなったペリー来航の場所であり、日本の近代化に中心的役割を果たした横須賀製鉄所ができた場所でもあります。現在では米軍基地や海上自衛隊基地があり東アジアにおける防衛最前線であり、また人口減少と高齢化の最先端の場所でもあります。横須賀は私たちの世界の未来が見える場所だと思っているんです。

永井 すごく驚いているのですが、私も全く同じように感じています。横須賀は歴史の転換点で必ず表舞台にあがってくる場所だと感じています。

ストラーン ゴジラもガリバーも上陸しています(笑)。

永井 そうですね!(笑)

ストラーン 横須賀を見ると、これからの世界がどのようになっていくのかわかる気がするんです。

永井 ストラーンさんが感じる日本のこれからについて何か感じることはありますか?

ストラーン インターナショナルということです。友人が市外から遊びにくると、横須賀では外国人をよく見るね、と言われます。横須賀では当たり前ですが、こうしたインターナショナルな雰囲気が日本においてはまさにこれからのトレンドだと思っています。

永井 横須賀にはアメリカをはじめ、多くの国の人たちが暮らしています。また、日本全体としての外国人観光客数は年々うなぎ上りで日本政府観光局の統計によると昨年度(2017年度)は約2,869万人の外国人が日本を訪れています。

ストラーン そういう多国籍な雰囲気がこれからの世界の潮流だと感じています。

平和の語り部

被写体一つ一つが平和の語り部なのだという

永井 今回の写真展は平和の語り部プロジェクトという副題が付けられていますが、どういったプロジェクトなんでしょう?

ストラーン 一緒に取り組んでいただいているデビット佐藤さんが中心になると思っていますが、デビットさんは点在して残っている砲台跡こそ平和の語り部だとおっしゃっています。観音崎で写真を撮り始めて、突起物や砲台跡に出会って、何だろうと思っていたところにデビットさんのガイドツアーがあり参加しました。砲台跡は戦争の歴史を物言わず語る語り部であり、私としては芸術的観点はもちろんですが、そうした明治の戦跡の写真から、平和について感じたり考えてもらえる写真を一人でも多くの人に見てもらいたいと考えています。

永井 デビットさんはガイドツアーによって多くの方に平和の語り部たる戦争遺跡について知ってもらい、ストラーンさんは写真によって多くの方に知ってもらい感じてもらうということですね。ストラーンさんが最初に見た月の写真で心動かされたように、こうした戦争遺跡の写真で一人でも二人でも心動かされる方がいたとしたらすごいことですね。

ストラーン 多くの方の心を動かすというのは大変難しいことですが、少しでも何か感じてくれる方がいれば嬉しいですね。

永井 今後のストラーンさんの活躍が楽しみです。本日は貴重なお話をありがとうございました。

平和の語り部プロジェクトHP