街の活性化に頑張っている方々と 永井まさととの対談を連載でご紹介する「ザ・対談」です。 様々なジャンルをインタビューしますのでお楽しみに。
永井 今回は山城ガールとして歴史講座や歴史ウォーキングを通じて中世の山城の魅力を発信しているむつみさんにお話を伺います。よろしくお願いします。
むつみ よろしくお願いいたします。
永井 まず山城に興味を持ったきっかけはなんだったんでしょう。
むつみ 私は学生時代歴史が好きではありませんでしたが、ある小説がきっかけで、邪馬台国はどこか?などの歴史ミステリーが好きになり、お寺や神社、お城などを回るようになりました。たまたま立ち寄った滋賀県の小谷城の石垣に感動したのが、山城に興味を持ったきっかけです。500年近く経つのに当時のまま残っていて、陽の光が当たって輝いてるように見えました。このお城はどんなお城だったのだろう?天守閣はあったのかな?門はどこにあったのかな?などと想像し、ワクワクしたことを憶えています。その後も自分なりに調べながら、全国のお城を巡り始めました。そんな中、友達や知人にお城巡りのおすすめや城の見方などを聞かれ、手書きのガイドマップを配ったり、説明をしたりしていたところ、とても面白いと評判になりブログを書くようになりました。久しぶりに横須賀に帰ってきたときに、横須賀の城や歴史を調べたら、三浦半島には多くの山城もあり、三浦一族が全国的にも大活躍していたことを知り、興味を持ち、現在の活動を行うきっかけとなりました。
永井 そうなんですね。お城というと一般的には名古屋城のように天守閣があって立派なお城を想像しますが、山城は砦というイメージでしょうか。
むつみ 時代や地域、用途によって規模は様々ありますが、基本的には山城は山全体を城塞としています。その中に防衛用の施設をつくったり、生活空間をつくったり、公的な空間をつくったりします。「城」という字は「土で成る」と書きますので、天守閣や建物がある城だけが城ではないんです。
永井 ヨーロッパの城郭都市のようなイメージですかね?
むつみ ヨーロッパの城郭都市のように壁で囲んだりはしませんが、本拠地の周辺を支城で囲んで防衛したりします。三浦氏も本拠地の大矢部・衣笠のあたりをそうやって防御してました。あと、例えば小田原城。小田原城は惣構えと呼ばれる9kmに及ぶ外郭を巡らせています。その中には人々の家や市も入っていますが、それぜんぶ含めて「城」なんです。
永井 そうなんですね。日本の場合はヨーロッパと違って自然の地形を利用している場合が多いと思いますが。
むつみ やはり山とか川や海など、地形を利用してお城は造られます。石垣があるお城の方が立派なお城と見られがちですが、関東は関西に比べてあまり石が出ないのと、関東ローム層の土質は崩れにくいので、わざわざ石で補強しなくてもいいんです。だから、関東は土の城がほとんどです。三浦半島に残るお城も土の城ですね。
永井 我々のような一般的な見方では建物を見てお城だと見ちゃうんですよね。天守閣=お城だという感覚。
むつみ 天守閣は例えるなら学校の校舎なんです。校舎があって、体育館があって、校庭があって、校門があって。それを全部ひっくるめて、学校と言いますよね。それと同じで、天守閣があって、門があって、堀があって…。それらを全部含めて、「城」なのです。
永井 なるほど。そのようなお話をブログで発信し始めたわけですね。
むつみ ブログで発信していたら、あるきっかけでタウンニュースさんから内容が面白いので連載してみないかとお声掛けをしていただき、まだまだ自分でも知らないことだらけでしたが、勉強しながらやってみようと思い、三浦半島の山城コラムを書かせていただきました。
永井 そのあとグリーンゴルフさんやCool Clan Caféさん主催のイベントという形で発信もされていますよね。
むつみ 最近では横須賀市の方からもお声掛けいただき、浦賀の行政センターで行っている浦賀散歩(うらさんぽ)シリーズとコラボしました。皆様の関心が非常に高く、抽選になるくらいの好評をいただき、第2回を5月に行う予定です。このような活動を2年ほどやってきましたが、この活動を通じて、みなさんの中世の歴史、三浦一族への関心が非常に高いことを感じました。
永井 地元の歴史を伝えるというのはとてもいい活動なので、みなさんの関心も高いんでしょうね。横須賀をはじめ三浦半島はとても歴史が深く、私はそうした地元の歴史が横須賀を盛り上げていくのではないかと思うのです。いろんなイベント等を通じて、感じることはありますか。
むつみ 横須賀、浦賀の歴史というとやっぱり幕末が人気なので、イベント等も幕末ばかりにスポットが当たっているなと感じます。仕方ないことなのかもしれませんが、幕末に歴史の舞台にはなりましたが、龍馬や勝海舟には横須賀の、三浦半島の血は流れていないんですよね。それに比べ、三浦一族は500年近くにわたり、三浦半島に根付き、開墾し、生活し、統治していました。三浦半島の人たちの体には、少なからず三浦一族の血が流れてるのではないでしょうか。なので、偏ることなく中世の歴史も幕末と並行して伝えていくのがいいと思います。三浦氏ゆかりの城跡に行くと、見つけられないような小さな看板しかなかったり、その小さな看板さえなくてガッカリすることがあります。三浦一族をはじめとする中世の横須賀の歴史が幕末につながり、さらには今に繋がるんだ、というストーリーを発信していくことがブームで終わらない横須賀の歴史作りになるのではないかと思います。
永井 わたしは横須賀という地は日本書紀から始まり、平安時代から中世にかけて歴史の舞台として登場し、また幕末にも舞台になり、さらには横須賀製鉄所などと歴史の転換点には必ず出てくる重要な場所と捉えています。でも、実際には中世に関してはあまり知られていないですよね。
むつみ 山城の講座の参加者は、浦賀城に行っても勝海舟の石碑と綺麗な景色だけ見て帰って来ちゃってたけど、お城としてこんなに残っているんだねと驚きます。城の見方が分からないと、ただ山登りをして景色を見て終わってしまうんですね。もったいない。見方が分かれば、当時の人の考えや想いなどを少しでも想像することができて、面白さが増すと思います。なかなかロマンチックです。
永井 知識を共有することにより、視点が増えて楽しみながら歴史を知ることができそうですね。三浦一族を大河ドラマにしようということを聞いたことがあるのですが、盛り上がりそうですかね。
むつみ なかなか難しいかと(笑)神奈川県では小田原に北条氏もいますから。小田原では、北条五代を大河ドラマに!ということで、お城や歴史の関係者の方をはじめ、市民一体となって、ものすごい盛り上がりを見せています。三浦一族の歴史に関しても、まず地元の方々をはじめ、一人でも多くの人に知ってもらうことが大事だと思います。
永井 わたしは小田原北条氏は近代の考え方の礎を作った一族だと思っており、北条氏の歴史は非常に重要だと思ってます。三浦一族が滅ぼされてしまったのは残念ですが…。ただ、大矢部の満昌寺さんのように縁のあるお寺や神社などは今も残っていますので、中世の歴史を掘りおこすカギはいくつも散りばめられていますよね。
むつみ 山城は見方が分からないと、はっきり言ってただの山です(笑)「何回か行ったけど何もないじゃん」とよく言われます。それが、だんだん参加者が増えて、ありがたいことにリピーターさんも増えました。最近では案内するとリピーターさんからは、「おぉ!」というような歓声が上がったり、こんなに資源が残っているのにもったいないね、せめて看板だけでも立てればいいのにね、などの声が上がるようになりました。目からうろこ、見る目が変わったなどと嬉しい言葉をいただくこともあります。やはり、見方さえ分かれば、観光資源にもなりますし、歴史資源にもなるのです。説明して見方が分かれば、この面白さ大事さが伝わる!分かってもらえる!というを感じたのが私の中で、一番の手ごたえだと思います。
永井 皆さんが分かるようにお伝えすれば、重要性を感じてもらったり、それぞれの気づきが生まれてくるという手ごたえを感じられたのですね。これからの活動としてご自身で考えていることはありますか。
むつみ とにかく一人でも多くの人にこの三浦半島の中世の歴史の面白さ、大事さを知ってもらうこと。子どもたちにも、この素晴らしい歴史を語り継がないといけません。大人たちが知らないでは、ちょっと恥ずかしいんじゃないかと。地元の歴史を知るということは、土地に対する愛着になりますから。それには、まずは三浦半島の山城や三浦一族の史跡マップ、ガイドブックのようなものを作りたいと考えています。歴史嫌いの人、あんまり詳しくない人や、子供でも手に持って散歩できるような。難しいものではなく、楽しくてカジュアルな三浦半島の山城ガイドブックを作りたいです。出版社募集中です(笑)また、今は山城が全国的に大人気なんです。いろんな自治体で力を入れていて、山城でチャンバラをしたり、スタンプラリーをしたりと色んなイベントを行っています。三浦氏に関しても、地元の人が思ってるよりも知名度があり、かなりのポテンシャルを秘めています。例えば、伊達政宗を苦しめた戦国大名の蘆名(あしな)氏は三浦一族ですし、会津若松城は元はその蘆名氏のお城だったんですよ。そんなふうに全国に広がり活躍した三浦一族の歴史をもっと知ってほしいと思います。
永井 歴史は皆が興味を持っているものだと思いますし、聞いたら驚かれることが多いと思います。ただ時系列だけで歴史を知るのではなく、違う切り口で伝えていくことが必要だと思います。山城を起点とした面白い切り口で歴史を広めていかれる方が流星のごとく現れたと感じます(笑)。今後歴史の知る機会が広まっていくこと、活動が広まっていくことを楽しみにしていますし、応援していきたいと思います。本日はありがとうございました。
むつみ ありがとうございました。